一般財団法人教育支援グローバル基金|ビヨンドトゥモロー

過去の体験について素直になり、みえなかった本当の自分を見ることができました。

大山 貴文

参加年次 : 高校3年

愛媛県松山市にある中島は、瀬戸内海の海に囲まれた人口約3000人の島で、私はこの島で生まれ育ちました。小さい島ですが、温かい人が自慢のすばらしい故郷です。

父の実家はずっと農家で、戦後はみかんを作るようになりました。幼い頃、父が兄と私をみかん山に連れていってくれ、兄と山で遊びました。父はみかんを通し、自然を感じ、遊ぶことを教えてくれました。昔かたぎで頑固な父でしたが、たまにみせる優しさの記憶に、不器用ながらも父は私を愛してくれたのだと今も思います。

小学校3年の時、父が亡くなりました。小学校の先生に、急いで家に帰るように言われ、帰宅すると、家の奥に父が寝ていました。自殺だったと、伝えられました。

その時から生活が一変しました。母はフィリピン人で、日本語に不自由し大変な思いをしながらも、私たちを育ててくれました。生活を支えるため、私は中学生で新聞配達を始めました。朝4時半に起き、朝刊を配達してから、部活の朝練や勉強をして、学校に行きました。

父の死を受け入れられず、それまでの自分を忘れ、母や自分のために努力することが、使命感になっていました。そして、ひたすら本を読む中で、私は世界の事、経済の事に興味を持ちました。島の経済や食品の市場について学ぶうち、経済学を学び、世界のことを知りたい、海外に留学したいと考えるようになりました。

初めてビヨンドトゥモローについて、先生が案内してくれた時、私は受験生でした。行くべきか悩みましたが、母が背中を押してくれました。実際にこの3日間は、私の人生のターニングポイントとなりました。チームの仲間たちが、それぞれの辛い体験を本気で語ってくれました。同じような経験をしている仲間に出会えたことで、私も隠してきた過去の体験について素直になり、みえなかった本当の自分を見ることができたと思っています。

大学に入ってからは、希望していた海外留学を実現し、フィリピンにて1年間インターンとして留学生のサポートやウェブ系の仕事に携わる事ができました。その経験が役に立ち、大学卒業後はエンジニアとして就職が決まりました。ビヨンドトゥモローで出会った起業家の方々からも、沢山の刺激を受け、5年後には社会経験を活かし起業したいという目標も生まれています。

ビヨンドトゥモローでの経験や、今も連絡を取り合う仲間の存在は、今の自分の大きな糧になっています。