公益財団法人教育支援グローバル基金|ビヨンドトゥモロー

教育とは、「未来を変える仕事」である

寺田 拓真

広島県総務局付課長、前・広島県教育委員会学びの変革推進課長、立命館アジア太平洋大学(APU)特別研究員

 

家庭内暴力から教育の道へ

のっけからいきなりこんな話で申し訳ありませんが、僕は、自分の父親を警察に通報したことがあります。

ウチの父親は、小学校の教員だったのですが、家庭内暴力がひどくて、母親は、食器を投げつけられたり、髪を引っ張られたり、僕ら子供たちも一緒に家の外に追い出されて、朝まで鍵を閉められたりもしました。

確か、中学生の時だったと思いますが、あまりにひどいので、僕は、自ら110番通報して、警察を呼びました。自宅の前に停まったパトカーの中で、警察の方々に事情を説明したことを、今も覚えています。子供の頃の僕は、心の底から父親を憎んでいました。「こんな理不尽なことが許されてはいけない。法律の力で、弱い人たちを守りたい」という想いが、僕を法学部への進学に導きます。

しかし、大学生の時、父親の勤務する小学校でボランティアをしたことが、教育への道を志すきっかけとなりました。そして、2004年に文部科学省に入り、キャリア官僚となり、2014年からは、広島県の教育委員会で仕事をしています。広島では、「単に知識を暗記するのではなく、知識を活用し、他者と協働して、新たな価値を創造すること」を重視する「学びの変革」という教育改革を行ったり、高校生約100人が、海外の高校生、企業・NPO・大学等と協働し、3年間かけて、広島と世界の「より善い未来」の実現に向けた「国際協働型プロジェクト学習(PBL)」に取り組む「広島創生イノベーションスクール」というプロジェクトを企画したり、多数の外国人留学生を受け入れて、「学びの変革」を先導的に実践する公立の全寮制中高一貫校、「広島叡智学園中・高等学校」を創設したりしました。

 

ビヨンドトゥモローとの出会い


さて、この文章をお読みいただいている皆さん。おそらく皆さんは、何らかのかたちで、ビヨンドトゥモローの活動に興味を持ち、このホームページを訪れておられるのだと思います。であれば、ぜひ寄附をお願いします。以上です!

と、書いて終わるのは、あまりに乱暴ですので(笑)、もう少し丁寧に書きます。僕が、ビヨンドトゥモローと出会ったのは、広島に来てすぐのことでした。

その少し前、東日本大震災が発生した時、僕は、文部科学省で、教育行政の司令塔である教育改革推進室の職員をしていました。そして、「震災からの教育復興」も担当することになりました。
しかし、被災地から全然情報が届かない。「困っていることは無いですか」と問い合わせても、「大丈夫です」としか言われない。そんな中、当時の課長が「あちらが大変な時なのに、何でこっちが行かないの?」と一言。


震災から数週間後、僕たちは、アポを取ることなく、被災地の教育委員会や避難所を車で巡り、「どなたでも構いませんから、少しだけお話聞かせてください」と聞いて回りました。その時見た景色は、一言で言うと「絶望」です。あったはずの「街が無い」んです。携帯で検索すると出てくる街の写真と、今、目の前に広がっている姿。同じ場所から見ているはずなのに、何もかも違う。というか、写真に写っているものが、何もない。「こんな理不尽なことがあっていいのか」。心の底からそう思いました。


そして、広島に来て、ビヨンドトゥモローと出会いました。イベントに、高校生たちのアドバイザーとして参加させてもらい、東日本大震災で家族を失い、家を失い、友達を失い、大切なものを失った高校生たちと、3日間、夜遅くまで語り合いました。その後も継続的に参加させてもらい、東日本大震災で被害に遭った子だけではなく、親と死別・離別した子、児童養護施設で育った子、貧困家庭で育った子などと、一緒に語り合いました。
正直に言います。初めて参加した時の僕の動機は、「このかわいそうな子たちを救いたい」でした。しかし、参加して、高校生たちと語り合う中で、僕の考えは変わりました。「違う。僕は、社会を変えるために、真っ当な世の中を創るために、ここに来たんだ」と。

教育は「未来を変える仕事」

僕は、「教育の仕事」というのは、一言で言うと、「未来を変える仕事」だと思っています。教育の力で、1人1人の未来が変わる。そして、1人1人の未来が変わることによって、社会全体の未来が変わる。

僕の父親は、海援隊というバンドが好きでした。一定の年齢以上の方はご存じかと思いますが、武田鉄矢さんのバンドです。中学生の頃、父の影響で、僕も海援隊のCDを聴くようになりました(今考えれば相当シブい中学生ですが)。
その海援隊の代表曲が、ご存じ「贈る言葉」。教育をテーマにしたドラマ、「3年B組金八先生」の主題歌です。
「贈る言葉」の中に、こんな歌詞があります。


- 人は悲しみが 多いほど 人には優しく できるのだから -

 

社会ってのは、理不尽なんですよ、本当に。悲しくなるほどに。絶望したくなるほどに。
しかし、子供たちは、若者たちは、その絶望を乗り越えていく。乗り越えていく力がある。だから僕ら大人たちができること、そしてすべきことは、彼らを「救うこと」ではない。彼らの力を信じ、彼らと一緒に、社会を変えていくこと、少しでも真っ当な世の中を作っていくことなんじゃないか。理不尽なことはこれからも山ほど起こる。それは変わらない。悲しいけど変えられない。けど、「努力がちゃんと報われる。一生懸命がちゃんと評価される。まっすぐに頑張る人がちゃんと幸せになれる」。そんな真っ当な世の中を創りたい。理不尽と、悲しみをたくさん経験した彼らには、その力がある。まっすぐな人たちに、優しい言葉をかけ、そして一緒に真っ当な世の中を創っていく力がある。

僕が中学生の時、「3年B組金八先生」の第4シリーズの放送がありました。その主題歌、「スタートライン」の中に、こんな歌詞があります。


- 今 私達に必要なものは 光り溢れる明るい場所じゃなく 闇に向かって走り出す為のスタートライン -

 

理不尽な過去を振り返らず、靴のかかとでスタートラインを引き、自分で「よーいドン」と小さく声を出して自らを奮い立て、闇に向かってまっすぐに走り出す子供たち、若者たち、大人たちに、どうか幸あれ。

さて、冒頭書いた父ですが、数年前に、教員の仕事を定年退職しました。家庭で暴力をふるうような父親でしたが、いつも深夜まで、家で黙々と仕事をしていました。毎年、正月には、驚くような量の年賀状が、子供たちと保護者、そして卒業生から届きました。
そして昨年、肺に癌が見付かりました。手術と治療を繰り返し、元々とても痩せていたのですが、更に10キロ痩せたそうです。今も、治療は続いています。

 

誰だって人間は、いつかは消えていきます。どんなに「生きたい。この大切な人たちと、もっと一緒にいたい」と思っても、そんな思いは一切考慮されることなく、突然終わりがやってきます。
そんなこの理不尽な社会の中で、それを憎むのでも恨むのでもなく、未来に向かって、闇に向かって、まっすぐに走り出す人たちが、ちゃんと幸せになれるような、そんな真っ当な世の中になることを願い、そしてその実現に向けて、僕自身が若者とともに行動し続けていくことを誓い、最後に、父が再び元気になることを祈りながら、ここに筆を置きたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。もしよろしければ、一緒に、社会を変えていきましょう。

(- -内は、海援隊『贈る言葉』及び『スタートライン』より引用)」

 

 

寺田 拓真
広島県総務局付課長、前・広島県教育委員会学びの変革推進課長、立命館アジア太平洋大学(APU)特別研究員

1981年、神奈川県秦野市出身。2004年に文部科学省に入省し、教育改革の司令塔や東日本大震災からの教育復興などを担当。2014年より、広島県教育委員会に籍を移し、「学びの変革」と銘打った教育改革や、広島創生イノベーションスクール(OECD等の国際機関、企業、NPO、大学等のマルチステークホルダーとの連携による高校生向け大規模PBL)、広島叡智学園の創設(SDGsをコアコンセプトに、外国人留学生とともに国際協働型PBLを実践する全寮制の中高一貫教育校)などを担当。早稲田大学法学部卒業。2021年秋からは、ミシガン大学教育大学院修士課程(Design and Technologies for Learning Across Culture and Contexts (DATL))に進学予定。