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概要
一般財団法人教育支援グローバル基金は、共感力のある次世代のグローバル・シティズン(地球市民)の育成をめざす、包括的な人材育成事業「ビヨンドトゥモロー」の一環として、「ジャパン未来リーダーズサミット2016」を開催しました。親との死別・離別や、児童養護施設で生活しているなど、様々な事情により機会を得ることが難しい状況にありながらも、広く社会のために役立つ人材となる志をもつ全国の若者を対象に、本サミットでは、多様な領域で活躍するリーダーたちによるアドバイスの下、「若者が輝く社会」の実現に向けた提言をグループ毎にまとめ、最終日には政治・行政・ビジネス・メディア・NGOなど各方面のリーダーたちの前で発表する機会を提供しました。
目的
- 「若者が輝くことができる社会の実現」のための提言の作成 当事者としての視点を盛り込んだ日本社会の未来への提言を作成し、最終日の閉会式で発表する。
- 未来のリーダーとなる仲間たちとの場の構築 将来、人のため社会のために役に立つことを志す日本全国の仲間と出会い、かけがいのない関係を構築する。
- 将来のビジョンについて考える 様々な分野で活躍するリーダーやサミットで出会う仲間との対話を通し、自分の将来の姿について考える。
- 自分との対話 これまでの自分や、これからの自分を振り返り、自己との対話の中で改めて見つめ直す。
日程・開催地
2016年10月8日(土)~10日(月・祝) 東京
参加者
高校生(46名)
数百名の応募から選抜された高校生が日本全国を代表してサミットに参加しました。親と離別・死別の経験があったり、単身家庭や児童養護施設に暮らしていたりと、様々な環境に暮らしている高校生が、よりよい社会のあり方を考える志をもって集まりました。
大学生(13名)
ビヨンドトゥモローの年間プログラムである『ビヨンドトゥモロー ジャパン未来フェローズプログラム2016』に参加する大学生が参加し、自分たちが考える社会のあるべき姿について意見を発信しました。
卒業生(9名)
これまでに、ビヨンドトゥモローの奨学金プログラムに参加した経験を持つ卒業生たちがサミットに集結し、各チームのディスカッションをサポートしました。既に社会人となっている卒業生も多く、それぞれの領域での経験をもとに、提言作成のための議論のファシリテーションを担いました。
メンター(14名)
様々な領域でプロフェッショナルとして活躍する社会人の方々に、メンターとして各チームに参加いただき、提言作成に向けたサポートを行うだけでなく、将来のキャリアやビジョンについてのお話を伺う機会となりました。
- 石井てる美
- お笑い芸人
- 宇山真理子
- バンクオブアメリカ・メリルリンチ
- 江崎滋恒
- アンダーソン・毛利・友常法律事務所
- 籠島康治
- 株式会社電通
- 川井真弥子
- バンクオブアメリカ・メリルリンチ
- 川名正憲
- 株式会社FanForward
- 神戸悠太
- バンクオブアメリカ・メリルリンチ
- 菅原愛弓
- バンクオブアメリカ・メリルリンチ
- 田畑信子
- マッキンゼー・アンド・カンパニー
- 花岡洋行
- あしなが育英会
- 原聖吾
- 株式会社情報医療
- 間中健介
- 内閣官房
- 八木研
- ロシュ・ダイアグノスティックス株式会社
- 和田真一
- 財務省
プログラム概要
オリエンテーション
初日のオリエンテーションに際し、衆議院議員の小泉進次郎議員様より激励のメッセージをいただきました。
日本、そして世界の未来は、皆さんの世代が創ります。サミットの後、それぞれの地域に戻っても、自分で自分の限界を決めることなく、仲間たちと一緒に行動を続けてほしいと思います。
「ジャパン未来リーダーズサミット2016」の開催、おめでとうございます。 今年の春にビヨンドトゥモローの皆さんとお会いした際、様々な困難に直面しながらも、具体的な目標を持ち、前に進む皆さんに感銘を受け、勇気づけられました。今回、新しく参加した方含め、皆さんとお会いできず残念ですが、全国から志高く、強い心を持った次世代のリーダー達が集まっていることと思います。 今回のサミットで、3日間、明るい未来を創るためのアイディアについて話し合い、未来につながる提言を発表すると伺っています。 日本の最大の課題は、人口減少です。人口が減ったら日本の未来はないのか。私はそうは思いません。将来に悲観的な1億2千万人の国より、未来に楽観と自信を持つ6千万人の国の方が強い。極端な例えかもしれないけど、私はそう思います。人口減少を強みに変える。そんな発想を皆さんには持ってほしい。 日本、そして世界の未来は、皆さんの世代が創ります。サミットの後、それぞれの地域に戻っても、自分で自分の限界を決めることなく、仲間たちと一緒に行動を続けてほしいと思います。これからも皆さんのチャレンジを応援しています。 小泉進次郎 衆議院議員
体験共有
サミットでは、自分が生きてきた道について、これまで打ち明けることのできなかった想いについて、新しく出会った仲間たちと語り合う時間がありました。
進学をあきらめ、就職の準備をしていた高校3年の時ビヨンドトゥモローに参加し、自分の中の何かが変わりました。もしかしたら、自分にも何か出来るかもしれない、自分も行動したら変われる、と考えるようになり、進学することにしました。私にとって、ビヨンドトゥモローはもう1人の自分が生まれた場所です。
愛澤妃呂美 (福島県立相馬高等学校卒業)
私はずっと、児童養護施設に暮らしていることが負い目だと思っていたけれど、ビヨンドトゥモローに来て自分の体験を話し、仲間たちが、同情するのではなく、私のことを認めてくれて、そして、ここにいる人たちとなら、心配をしなくていい、わかってもらえるんだと、自分に自信を持つことができました。認めてくれる人がたくさんいるから自分も頑張ろうと思えるようになりました。
荒川未菜子 (長野県上田高等学校)
課題発表
2日目に、各チームが取り組む課題が発表され、チーム毎に白熱した議論を繰り広げ、自分たちが考える課題解決のあり方を提言にまとめました。
「若者が輝くことができる社会の実現」
若者はどんな人生を生きたいと考えているのか。参加学生の具体的な経験をもとにしながら、今の日本社会において、若者が輝くことができる社会の実現を阻む課題を特定し、その解決に向けて自分たちにできる、具体的なプロジェクト案を提言にまとめます。
リーダーとの対話
提言作成にあたり、特別ゲストが駆けつけ、学生たちにエールを贈ってくださいました。
将棋棋士 羽生善治様
将棋をずっと続けていくときに何が大事かと聞かれたら、たぶんそれは恐れない気持ちだと思います。恐れる気持ちは非常に大事です。それを一歩踏み越えて、恐れないで、前に踏み込んでいく、未知なものに挑戦していくという姿勢。それは、若い人の特権でもあると思っています。
慶應義塾大学 名誉教授 ビヨンドトゥモロー アドバイザー 阿川尚之様
今後の人生において、あなたたちがどんな道を選ぼうと、どんな理不尽なことに遭遇しても、うまくいかないことがあっても、あなたたちがこれから歩む道は、必ずよいものになります。
閉会式
提言発表
10チームそれぞれが、自分たちの経験をもとに考え抜いた提言を閉会式の場発表し、ゲストの方々の投票を経て最優秀チームを選出しました。閉会式には、竹中平蔵 慶應義塾大学名誉教授・ビヨンドトゥモロー アドバイザーを含む、多くのゲストが駆けつけてくださいました。 また、参加学生を代表して、2名の学生がスピーチを行いました。
学生スピーチ
私を伝えるときのキーワードのひとつに「貧しさ」があります。それは授業で使う参考書が買えなかったり、給食費の支払いが遅れたり、修学旅行の積み立てが出来なかったり、ガスと電気が時々止まったり、なんだかずっとひもじかったり、そういう「貧しさ」です。 小岩真純 福島大学現代教養コース(夜間部)
小岩真純といいます。岩手県釜石市の出身で、現在は福島大学の夜間部に通う大学二年生です。小学一年生の時に両親が離婚して、貧しい父子家庭で育ちました。母親はフィリピン人です。離婚前も後も、親はほとんど家におらず、四つ上の兄からはよく折檻された記憶があります。中学は人間関係で揉めて、三年間のうち通ったのは最初の半年ほどです。学力もその頃で止まっています。高校は一度中退して、学費のために毎日アルバイトをしながら通信制を卒業しました。 私を伝えるときのキーワードのひとつに「貧しさ」があります。それは授業で使う参考書が買えなかったり、給食費の支払いが遅れたり、修学旅行の積み立てが出来なかったり、ガスと電気が時々止まったり、なんだかずっとひもじかったり、そういう「貧しさ」です。 中学3年の春に東日本大震災があり、家庭の経済状況が更に悪化しました。既に高校に合格していましたが、そこに進学できる経済状況かもわからない状況でした。そんな中、震災がきっかけとなり、長い間、会っていなかった母親と再会を果たしました。そして、母の祖国であるフィリピンに行くことになりました。 4時間半のフライトののち、降りたった南の貧しい島国。そこには、10歳に満たない痩せ細った子供がボロボロの服を着て、裸足のまま歩き、車を相手に商売をしている姿がありました。そのひどい状況は、筆舌に尽くしがたいものでした。私の悩みなど、ちっぼけなぬるま湯思想だったのだと、ようやく気づく機会になりました。 フィリピンから日本に帰ると、高校を退学し、通信制の高校に転校しました。そして、週6日アルバイトをして、大学進学を目指すことにしました。自分に与えられた環境の中で、自分にできることを選んだ結果でした。 フィリピンでの衝撃的な体験から、海外の途上国での国際教育について学びたいと思っていた私は、法律という切り口から、教育を学ぶために大学に行きたいと、思うようになっていました。そして、大学進学の準備をしていた時、アルバイトで貯金をしても、大学に行くお金がないという話を、高校の先生と話していた時、先生が、ビヨンドトゥモローを教えてくれました。初めて、ビヨンドトゥモローの資料を見た時は、有名大学に行っている人のプロフィールがたくさん並んでいて、自分には無理なのではないかと思いましたが、受けて損はないというくらいの気持ちで応募し、ビヨンドトゥモローから奨学金をもらえることになりました。大学に行く道筋が見えた瞬間でした。 大学に入学し、今は、成人教育や生涯教育について学んでいます。夜間中学や、公民館の位置づけについて勉強する中で、若者が、学校とは別の場所で学ぶことのできる可能性を創る仕事をしたいと思うようになりました。 そして、やはり、途上国のストリートチルドレンの問題にも興味があります。自分にとって半分祖国であるフィリピンで見た子供たちのことを考えない日はありません。そういう子たちが、将来、看護師になりたい、スチュワーデスになりたいというような夢を普通に持って、普通に叶えていいんだと思えるような社会を実現する手助けをしたいと思っています。 今回、サミットに参加するにあたり、自分に対して、大真面目、ばかまじめでいてみようと、思っていました。とにかく全力投球してみようと思って臨んだサミットで出会った仲間たちに、これまでの人生の体験について共有しました。その結果、自分が共感できると、自信をもって言える、そんな人間関係を築くことができました。 サミットを通して、私たちは「若者が輝ける社会」について提言をまとめました。自分たちの現状に基づいた提言を、今日、これから発表しますが、提言の基盤となった、私たち一人ひとりが直面する様々な現実を、多くの方々に、受け止めてもらえることを願っています。
一袋10円の野菜を食べ続け、ついにはそれさえも買えずに、砂糖水で空腹をしのぎました。3日食べられないことが、こんなに苦しいことだとは、知りませんでした。 福澤孝晴 東京都立青山高等学校
東京都立青山高等学校の、福澤孝晴です。 皆さんは、朝起きて、いただきますを言うとき、本当に心から感謝しているか、意識したことがありますか?私は、自分が当たり前のように毎朝朝ごはんを食べることができ、当たり前のように学校に行けることを当たり前のように感謝することができるようになったのは、つい最近のことです。 私の父は、変わった人です。体重100キロ、身長187センチの巨体。一人息子の私を本当に大切に想ってくれ、よく旅行に連れて行ってもらい、旅先できれいな星空を見るのが楽しみでした。母が行方不明になっていた我が家では、父は、お父さんとお母さんの両方のような存在で、私は父をとても信頼していました。 私の父は事業をやっていて、ずっと不自由のない暮らしをしていましたが、リーマンショックの頃から、父の事業が傾き始めました。中学3年になった時、父から、「孝晴、もう海外に逃げなければならない」と言われたとき、私は何かの冗談だろうとしかとらえていませんでした。 また何かの旅行だろうと思って、父と70代の祖母と、タイ行きの飛行機に乗りました。中学3年の5月でした。その後、2年近く、日本の土を踏むことはありませんでした。 タイに着いて、最初は2週間くらいだと思っていたのですが、だんだん、これは帰れないらしいということに気づきはじめました。観光ビザで滞在していたので、現地の学校に通うこともできず、また、そんなに長く滞在すると思っていなかったため勉強道具を持参していなかったのですが、持っていた少しの勉強道具で繰り返し繰り返し勉強を続けました。同じ問題集を8回解いたこともありました。 タイでも経済的に苦しく、市場に売っている一袋10円の野菜を食べ続け、ついにはそれさえも買えずに、砂糖水で空腹をしのぎました。3日食べられないことが、こんなに苦しいことだとは、知りませんでした。 でも、食べることができずにお腹がすいたことよりも、やることがなくて退屈だったことよりも、何よりもつらかったのは、まわりから忘れられていく、置いていかれるという感覚です。旅行だと思って日本を離れたまま、一度も日本に帰ることができず、とにかく一度でもいいから日本の地を踏みたいと思っていました。友達とたまに電話したりもしていましたが、友達は高校生になり、新しい生活を始める中で、1年前に急にいなくなった私と接することに戸惑っている感じで、自分が忘れられていく感覚に恐怖を覚えました。日本に帰りたかったけれど、父に言っても父が苦しむだけだとわかっていたので、2年間、ずっと孤独で、さびしい時間を過ごしました。 タイに来てからもうすぐ2年が経とうとしていた時、日本に帰ることを決めました。東南アジアは貧しい国が多いですが、皆、力いっぱい生きています。私より小さい子供たちが、観光客を観ては英語を学び、商売をしては算数を覚え、与えられた環境を最大限に活かして生きている姿に、日々を無為に過ごしている自分が恥ずかしくなり、悩んだ末、自力で日本に帰ろうと思いました。 生まれて初めての家出。行き先は5000キロ先です。準備に3か月かかりました。 父には内緒で、バンコクの旅行代理店で航空券を予約し、日本に帰ったらどうするのかを調べ、こっそりと荷物をまとめました。 そして、今でも忘れることのない、2014年3月7日。深夜、父と祖母が寝静まってから、父から盗んだお金と荷物を持って、家を出ました。一目散に走りました。すぐに父から携帯電話に電話がかかってきましたが、つかまったら連れ戻されると思い、必死で走りました。予約しておいたホテルまで着いたら、シャツが血で染まっていました。走っている間に出た鼻血に気づかないままに、無我夢中で走り続けていました。 夜が明けると、盗んだお金で航空券の支払いを済ませ、すぐに空港に向かいました。出国すれば父が追ってくることはできないだろうと、観光客のような服装に変装し、大急ぎでチェックインを済ませて出国審査を済ませました。フライトまでの10時間ほどを、空港の中のスターバックスでずっと過ごしました。日本に戻れることのうれしさが60%、日本に帰ってからの不安が40%でした。 日本に帰ってすぐに区役所に行って相談し、児童養護施設に入ることができました。2年ぶりに帰ってきて、家族以外の日本人と話すこと、同世代の人間と話すのが久しぶりで戸惑いました。同世代と話すのが不慣れで、何話せばいいのか、わかりませんでした。 既に2年遅れていたので、全日制の中学校に入ることができず、夜間中学に通って受験に備えました。翌年、晴れて高校生になり、やっと普通の高校生になれたことが嬉しくてたまりませんでした。2年間の空白の中で、「ふつう」に憧れていたので、部活もアルバイトも、全力で頑張りました。放課後、友達とラーメンを食べに行ったりして、ゆっくりした時間が流れている時、私は充実感とよろこびを感じます。 将来は、私は、天文学の研究者になりたいと思っています。そして、いつの日か、お世話になった東南アジアの教育に貢献したいと思っています。生まれた国や家庭によって、子供の未来へのチャンスが制限されることのないよう、力になりたいと思います。 高校生活も落ち着いてきた昨年、ビヨンドトゥモローのことを知りました。最初は、進学のための奨学金に興味があって応募しましたが、実際にサミットに来てみると、そこで出会った仲間は、とても生き生きとしていて、初めて会う人たちなのになぜか懐かしく感じました。当たり前のようにアツくなって語り合うことができ、素直に話すことのできる仲間がこんなにたくさんいる場所を、私は他に知りません。その時に出会った大学生が言ってくれた言葉「苦労の大きさを比べない。」は、今も私の心に響いています。 二回目となる今回のサミットでは、今度は自分が、少しでも誰かの支えになりたいと思って応募しました。しかし、自分はまだ支えられる回数の方が多いことを、この3日間で改めて実感しました。そう考える度に、ビヨンドの先輩たちがいかに力強い存在かを知らされます。 今朝の朝ごはんも、みんなで食べログ星3つの人気ビュッフェを食べました。「いただきます」を言う時、私は心から感謝しています。
首相公邸訪問・小泉進次郎衆議院議員訪問
最優秀チームは、後日、総理大臣公邸を表敬訪問し、安倍昭恵内閣総理大臣夫人・ビヨンドトゥモロー アンバサダーに、提言内容を届けました。また、小泉進次郎議員を訪問し、日本社会を取り巻く課題について意見交換を行いました。
支援団体
後援
文部科学省