公益財団法人教育支援グローバル基金|ビヨンドトゥモロー

東日本大震災から15年 ― 卒業生が語る“生き続ける記憶”①

2011年3月11日の東日本大震災から15年。あの日を経験した若者たちは、それぞれの歩みの中で、どのように記憶と向き合い、生きてきたのでしょうか。本記事では、ビヨンドトゥモローの卒業生が、自身の体験とその後の人生、そして次の世代に伝えたい想いを綴ります。震災の記憶とともに生きる一人ひとりの言葉をお届けします。

東日本大震災から15年

 

「明日はあたりまえではない」

 

ビヨンドトゥモローで出会った皆さんへ

元気にしていますか。ちゃんと食べて、眠れていますか。
人のことを気にかける皆さんだから、今も自分のことは後回しにしていそうで、少し心配です。


東日本大震災から十五年。
節目と言われると、きちんと振り返らなければいけない気持ちになり、背筋が伸びます。
ただ正直に言えば、私は普段、何年目かを強く意識して暮らしてはいません。
朝が来て、夜が来る。その繰り返しをなんとか乗り越えていくだけで精一杯だからです。


震災当時、私は高校生でした。
岩手県の大船渡市で被災し、母と祖母を亡くし、家も流されました。
忘れてはいません。


でも、その記憶を毎日抱えたまま生きていけるほど、強くも器用でもありません。
だから普段は、心の奥の方に、鍵はかけずにそっとしまっておいています。
当時のことをふと思い出すのは、不思議なことに、おいしいものを食べている時や、笑っている時です。


「この場に母や祖母がいたら」と、つい考えてしまいます。
楽しい時ほど、「本当はここにいてほしかった人」を思い出すのは残酷ですが、
それと同時に、今もその人たちを大切に思っている証でもあると感じています。
ビヨンドトゥモローのプログラムを振り返ると、当時の私は「未来」という単語に息苦しさを感じていました。なぜなら、自分を含め、それを奪われた人たちをすぐそばで見ていたからです。


その苦手意識が少しずつ薄れたのは、抱えていた過去を、言葉にし始めてからでした。話した瞬間、唇が震えたのを今でも覚えています。
多感な時期に「言葉を積み上げる」練習ができたこの経験は、今の人格形成に大きく影響しています。


私はこれまで八年ほど、農業や建設・建築など、社会の基盤に関わる領域で、非効率や人手不足、収益性の課題を改善する仕事をしてきました。この仕事を選んだ背景には、震災当時、電気もガスも⽔道も使えなかった経験があります。スイッチひとつで電気がつき、蛇⼝をひねれば⽔が出る。そのありがたさに気づけたことで、「⼈の⽣活を⽀える⼈を⽀える」が、⾃分の⽬標になりました。

 

次世代へ渡したい記憶

次の世代へ渡したい記憶は、喪失の感情や恐怖の映像そのものではなく、
「明⽇は当たり前ではない」という感覚です。
だからこそ、⾔えるうちに「ありがとう」と「ごめんなさい」を⾔う。
過去の選択は未来で正解にできるから、⽅向転換してもいい。⼤志は無理に作り出さなくてもいい。そういうことを伝えたいです。


色々なことで心が折られることがあると思います。それでも、まずは⽣きてほしいです。⽣きていれば、少しずつ前に進むし、前に進むと、取り戻せるものにも出逢えると信じています。

 

2012~13年奨学生 千葉真英

岩手県大船渡市で被災。2011年よりビヨンドトゥモローの活動に参加し、12年、13年は奨学生として年間での活動に参加。夏季グローバル研修では渡米も経験。

 

 

 

 

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