東北未来リーダーズサミット2011
2012.05.19
ハイライト映像
本サミットは、東日本大震災により被災し、困難な状況を経験しながらも、グローバルな視野を持ち国内外で活躍する志をもつ若者を対象として実施されました。様々な領域で活躍するリーダーたちによるアドバイスの下、東北の復興のあり方についてグループ毎に提言をまとめ、その提言は政治・行政・ビジネス・メディア・NGOなど各方面のリーダーたちの前で参加高校生自らによって発表されました。また、宿泊を伴う対話形式のプログラムの中では、スポーツや音楽、文芸など幅広い領域で活躍する第一人者の方々を招いて将来のビジョンについて考える機会も提供致しました。震災・津波という困難を経験したからこそ、他者への共感をもって広い社会のために行動を起こすことができる人材が出てくるという信念のもとに、このサミットを通して、参加学生が、逆境を乗り越えて果たすべき社会的な役割について考え、アクションに移すきっかけを提供致しました。
提言作成
1チーム7名で10班に別れて活動し、自らの体験から東北の未来を考え、3つのテーマに別れて
提言を作成しました。
プログラム2日目の朝、提言の課題が発表されました。
「皆さんは、東北復興チームのメンバーとして、古川国家戦略担当大臣から指名されました。 チームのミッションは、東日本大震災を経て、力強い東北を復興させるため、復興に向けた具体的なプロジェクト案を作ることです。東北復興のために、新しいプロジェクトを立ち上げ、今後1年間かけて運営していくことが求められています。」テーマは以下の3つ。チームごとに課題が課されました。
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- 東北を元気にするビジネスや仕事のあり方
- より元気で、より魅力的な東北の復興に向けて、ビジネスや仕事という視点から何が出来るか
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- 安全なまちづくり
- 地震や津波などの災害に強く、住民が安心して住むことの出来る安全なまちを作るために、何が出来るか
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- 被災者支援
- 被災者にとって本当に求められている支援とはどういうものか。より良い支援に向けて、何が出来るか
共有された現地の声 (抜粋)
- 親は美容師だが、震災で仕事道具を失ってしまった。そして震災後、ボランティアの人が被災地支援として髪の毛を切ったりしてくれたが、その様子を見て「道具があれば私にも髪を切ることができるのに…」と言っていた。ボランティアの人は善意でしてくれているのだが、結果的に被災地の人達の仕事を奪ってしまっている。ボランティアのあり方、適切な支援物資について考えるべき
- 震災の際には携帯電話が繋がらず全く機能していなかった。災害時には災害掲示板も繋がらないということを聞き、自分自身も災害に備えて家族や友人と安否を確認するための別の手段を備えておく必要があると思った
- 仮設住宅は建設されたが、まだ住環境についての問題は残っている。雇用や食産業の問題も残っている。支援物資の分配にも偏りがある
- 若者がもどってくる環境が必要である。雇用や病院などの整備が今後必要ではないか。また、人との絆を大切にした、コミュニケーションのしっかりした地域社会の形成が大切ではないか
- 原発の風評被害について。贈答用の桃が送り返されてくる例や、福島ナンバーの車が被害を受ける例も。この問題をどうにかしなければいけない
- 決断力・リーダシップが重要。被災度や意見の違いが見られるので、この違いをなくすにはどうすればいいのか?話し合いが大切ではないか?
- 組織的に受動的になってる人が多い。若者離れの問題には、若者が中心になるべきでは。団結して、意見の共有をもっと行うのがよい
- 復興の大きな目標や指針(10年後理想像など)はあるが、短期的な目標(2年後など)がないためにやる気が起きない人が多い
- 身体が不自由な人が安全に暮らせる街が必要。安全でバリアフリーな街づくり。また、津波に対しての意識というものをしっかりと持ち、伝えていく必要がある
東北復興の専門家へのインタビューセッション
自らの実体験と現地の声に基づいて浮かび上がってきた課題と問題意識。その上で迎えた東北の復興において第一線で活躍される専門家との対話の時間は、彼らがより広い視野と貴重なヒントを掴みとるチャンスでした。 それぞれのチームに与えられた課題に沿って選ばれた専門家。誰よりも自分たちが取り組むテーマに詳しい先輩に、短い時間で、何を聞くべきなのか。必要な情報は何か。本当に求められているアクションを、どのように描くのか。事前準備を経てのインタビューは、まさに真剣勝負の舞台となりました。 競うように質問を投げかける参加学生たちの表情には、ひとつでも多くのことを吸収すること、少しでも深く問題の核心に迫ることへの渇望がにじみ出るかのようでした。セッション終了後も講師への質問は続き、熱気が会場を包みました。テーマA 産業復興 ― 東北を元気にするビジネスや仕事のあり方
藤沢 烈
一般社団法人RCF復興支援チーム 代表理事
東日本大震災復興対策本部の非常勤スタッフ
一橋大学卒業後、飲食店経営~マッキンゼーを経て独立し、ベンチャー企業支援を行う。震災直後より、「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト」で、宮城県におけるほぼ全ての避難所(400箇所)に関するデータを分析し、行政・現地NPO・メディア等に提供。現在は、(社)RCF復興支援チームを立ち上げ、震災関連情報の分析や、被災地における事業創造に取り組んでいる。同時に2011年3月より、政府の非常勤スタッフとして、現地NPOの活動がスムーズに進むための支援を行っている。
プレゼンテーション内容 (参加学生のメモ等より抜粋)
- 仮設住宅以降が始まる5月以降は、地域自治体+地元ネットワーク (まちづくり協議会、復興センターなど)と連携し、被災者の生活再建を促進することが求められる
- 今後は漁船や施設の復旧段階から、水揚げ後の加工・流通産業の支援を通じて、漁業全体の成長を考えていく必要がある
- 観光業の発展のためには、民間が主体となった取り組みが求められる。一つの店舗だけではなく、地域全体を巻き込んだ取り組みが必要。単発的な取り組みだけではなく、効果持続のためには長期的視点に立った取り組みが求められる
質問及び対話内容 (参加学生のメモ等より抜粋)
- Q: 風評被害や偏見をどのように克服すべきか
- A: 風評被害を克服することを考えるのではなくて、どうしたら日本や各地域がよりよく見られるのかという大きな視野で考えるべき
- Q: 復興にはリーダーシップが必要であると考えているが、若者のリーダーシップのあり方についてどう考えるか
- A: マネージャーとリーダーの違いについて考えてみることが重要。みんなの方を向いて指示を出すのがマネージャー。みんなに背中を向けて、俺について来いというのがリーダーだと私は考えている
テーマB 防災計画 ― 安全なまちづくり
西川 智
国土交通省土地市場課長
神奈川県出身、東京大学工学部で都市計画を勉強し、大学院修士課程を修了して国土庁(当時)に入る。国土計画や名古屋大都市圏の計画の仕事をしたあと、アメリカMITの客員研究員。1989年から国土庁防災局で企業防災や国際防災協力の仕事を始める。1992年-95年国連人道問題局災害救済調整部で国際緊急援助を担当。帰国後、東京都に出向して長期計画を担当。霞ヶ関に戻り、水資源計画や中央省庁再編の仕事をした後、アジア防災センター所長、内閣府防災の参事官として2004年10月の新潟県中越地震や2004年12月のインド洋津波に対応、2005年の国連防災世界会議をとりまとめる。工学博士。2009年から世界経済フォーラムの有識者会議に参加。特技は、世界中のどんなお料理もおいしく食べること。
プレゼンテーション内容 (参加学生のメモ等より抜粋)
- 防災とは、自然と人間の接点でできるもの。微弱な社会が異常な自然現象に直撃されると被害が大きい
- 世界の2割の地震が日本で起こっている。戦後、予防のための投資を実施。伊勢湾台風をきっかけに堤防やレーダーを設置。結果、自然災害による死者が減少
- 地図をよく読むことが重要。地名とは、先人が残したその土地の特性を著した言葉。地形の理解にも繋がる
質問及び対話内容 (参加学生のメモ等より抜粋)
- Q: 安全、安心とはどういうものだと考えているか
- A: 安全を考えるうえで、対象となる人が誰なのかによって答えが異なる。必ず対象が誰なのかを明確にすべき、また、安全を確保するにはお金がかかる方法とお金がかからない方法があることを考慮すべき
- Q: 震災直後の民放の報道が多くの批判を浴びているが、商業主義の入った民放の姿勢を変えるにはどうすればいいのか
- A: (商業主義という点に関して)その通り。行政の人間が行動すると言論の自由を侵害していると批判されてしまうので、一般のひとがアクションを起こすことが重要ではないか
テーマC 被災者支援
濱坂 都
特定非営利活動法人ジェン(JEN)
国内事業部広報担当マネジャー
京都府出身。大学卒業後3年の企業勤務を経てシンガポールに移住。企業勤務を経て、PR会社設立。2006年に日本帰国、広報担当としてJENに参加。2007年、JEN新潟にて始まった中越震災復興支援地域おこし事業「田んぼへ行こう!」で企画および広報を担当。翌年JENパキスタンにて、団体活動ビデオ製作に従事。2009年より現職。東京本部事務局で個人、企業、メディアなど支援者対応を担当。ステークホルダーとの関係を構築するための企画などを行う。東日本大震災後、3月に行った初動調査、緊急物資配布で本部側担当。3月~4月まで事業責任者として石巻にて調整業務、緊急支援物資配布を行った。以後、東京本部にて広報担当に復帰。
質問及び対話内容 (参加学生のメモ等より抜粋)
- Q: 被災地間でどのように援助の優先順位を付けているのか
- A: どう優先順位を付けるかは非常に大切であると同時に非常に難しい問題である。支援の重複は絶対にあってはならず、調整する必要があるのだが、うまくいかないこともある
- 小さな(個人的な)避難所の情報がなかなかあがってこないだけでなく、平等性を重視する観点から指定避難所以外には支援物資を配らない(配れない)
- 被害の規模が大きく、トップダウンのトップそのものが機能不全。NGOとの連携もうまくいかない。 NGOの役割は政府と現地のニーズをつなぐこと
講師コメント (抜粋)
「今回、対象が高校生だということを鑑みて、何枚かスライドを省いてプレゼンテーションを行いました。実際に質疑応答の時間になると、省いた部分を、ほぼ全て、的確に質問されました。これには驚かされました。非常に鋭い視点を皆さんお持ちでした。やはり、実際に震災を経験したということ、そして現地で毎日生き抜いているということは、復興を考える上で非常に大きな力になるんだということを実感しました。彼らの作る提言が、本当に楽しみです」最終提言発表
70人が時にぶつかり合い、時に力を合わせて、全力で走り抜けた3日間。彼ら自身の経験と、現地の声からあぶり出された課題と、専門家の視点も盛り込んだその解決に向けての具体的なプロジェクト案。その成果は、審査員のみならず多くの観衆を驚かせました。 各界でグローバルに活躍する審査員による「プレゼン能力」、「体験との結びつき」、「提言の具体性/現実性」、「提言の斬新さ」等総合的な審査により、最優秀賞1チーム、優秀賞2チームが選ばれました。今回は最優秀賞を受賞したチーム10のプレゼンテーションに用いられたスライドをご紹介いたします。 全チームの提言が、古川元久国家戦略担当大臣に届けられました。参加学生による体験談スピーチ
2011年3月11日にいったい何が起こったのか。体験共有の時間が始まり、参加学生がそれぞれのストーリーに耳を傾ける中で、会場の空気が劇的に変わっていきました。皆が真摯に言葉を搾り出し、それを真剣に受け止める。今まで考えても見なかった視点に気づき、同世代の経験に涙を流す。 全員のスイッチが入った音が聞こえたようでした。1日目には想像も出来なかった表情が、仕草が、姿勢が、自然と生まれました。一人ひとりのストーリーが、そしてこの時間を共に過ごし生まれた絆が、3日間のプログラムの始まりとなり、土台となりました。 以下、彼らを代表して閉会式でスピーチをしてくれた参加学生の体験をご紹介いたします。写真をクリックするとスピーチ内容が表示されます。
メディア掲載
TV | 「NEWS23クロス」(2011/11/11 TBS) |
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新聞 | 「東北の復興を提言 3県の高校生募集」(2011/10/12 読売新聞) |
“Tohoku teens share views of survival”(2011/11/10 JAPAN TIMES) | |
「東北の復興を 高校生が探る」(2011/10/10 河北新報) | |
「東北未来リーダーズサミット参加高校生募集」(2011/10/10 岩手日報) | |
「高校生の参加募集」(2011/10/12 三陸新報) | |
「東北未来リーダーズサミット 14日まで参加者を募集」(2011/10/12 いわき民報) | |
「復興語り合う高校生募集」(2011/10/13 福島民友) | |
WEB | 「被災した若者たちのリーダーシップを育てる事業として「東北未来リーダーズサミット」を開催します」(2011/10/14 LOVE&HOPE~ヒューマン・ケア・プロジェクト~) |
「サポート情報:奨学金」(2011/10/03 毎日.jp(毎日新聞)) |
プレスリリース
「ビヨンドトゥモロー東北未来リーダーズサミット開催」多くの団体・企業の皆さまからのご支援・ご協力により、無事プログラムを実施することができました。篤く御礼申し上げます。
後援 | 内閣府、文部科学省 |
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知事メッセージ | 岩手県、宮城県、福島県 |
協力団体 | 特定非営利活動法人 東日本大震災こども未来基金 |
支援企業 | 株式会社ガリバーインターナショナル、武田薬品工業株式会社、 フェデックス キンコーズ・ジャパン株式会社、三菱重工業株式会社、 ロート製薬株式会社、CLSA |
撮影協力 | 神戸芸術工科大学 infoGuild |
デザイン協力 | 中河 綾子 |