東日本大震災から14年
東日本大震災から14年。震災を知らない世代も増える今、あの日の記憶をどのように未来へつなぐのか。ビヨンドトゥモロー卒業生であり、現在岩手県で記者として働く町中大悟さんが、震災の「教訓」と時間の流れの中で感じる思いを綴ります。
未来へつなぐべき記憶 東日本大震災から14年
ビヨンドトゥモローが誕生したきっかけとなった東日本大震災から14年。毎年この時期になると、会社では「震災の時は何をしていたのか」という話題になる。「小学校の卒業式を間近に控え、午前授業だったから友達の家で遊んでいた」と話すと、先輩社員からは「もうそういう世代が社会人なのか」とびっくりされる。
当時の記憶がなかったり、生まれていなかった子供たちが中学生や高校生になって教訓を継承しようと活動している記事を目にすることが増えた。自らが経験をしていなくても教科書に載っている出来事で終わらせずに、故郷で起こった大災害を後世へ語り継ごうとする姿は頼もしい。震災を知らない世代が社会人になる時が近いと考えると時間の流れは早く感じる。
震災の「教訓」とはなんだろう。一言では語りきれないが、代表的なものに「津波てんでんこ」がある。バラバラになっても真っ先に逃げて避難先で集合する、まずは自分の命を守ろうという考え方だ。間違ってはいないが、自分は逃げても家族や友人が津波に巻き込まれて亡くなった方の中には、「助けることができなかった」という葛藤を抱えながら過ごしている人もあろう。私たちは震災によって「明日は当たり前に来るものではない」ということを体感した。災害に限らず事故などで突然環境が変わり、大切な人と会えなくなることがある。南海トラフ地震など、明日起こってもおかしくない巨大災害の可能性が指摘されている昨今、このことを胸に留めて生活していこうと思う。後悔しないような生活の仕方、「ありがとう」「ごめんね」を素直に言える人間でありたい。今を楽しく生きる。教訓や備えとは物や設備に関することだけではない。
私が生まれる前に起こった阪神淡路大震災からは30年経ったが、今年も遺族の方が涙を流しながら手を合わせている映像が印象的だった。ハード面の再建がどんなに進んでも、心の復興は難しい。かつて隣にいた人や慣れ親しんだ街の姿は戻ってこない。世間では節目のように「震災から○年」と語られるが、被災者にとって節目はなく、悲しみの深さは人それぞれ。あの日から震災は続いているのだ。東北に住む私たちは、そのことを災害の恐ろしさとともに伝え続けていかなければならない。
町中大悟(まちなか・だいご) 岩手県立黒沢尻北高、東北学院大法学部卒。小学4年時に実母、中学3年時に妹を亡くす。ビヨンドトゥモローでは2017、18年度のスカラーシッププログラムに参加。21年岩手日報社に入社し、報道部、二戸支局記者を経て、23年から整理部(現・ニュースセンター)。紙面レイアウトなどを担当する。花巻市出身、26歳。