学生インタビュー:胸張って生きてたい!虐待という逆境を糧に目指すは発展途上国の看護師

子どもの頃に虐待を受け、家を飛び出したことをきっかけに児童養護施設、里親のもとで生活することになり、これまで成長してきた杉本さん。そんな逆境を経験してきた彼女が、ビヨンドトゥモローに出会って、「発展途上国の看護師になる」という大きな夢を描きます。ビヨンドトゥモローに参加することで感じた価値とは?

死ぬと思った。それで家を飛び出したのが人生を変えたきっかけ。

2019年3月オリエンテーションにて

これまでの生い立ちを教えてもらえますか?

生まれた時は、お父さんもお母さんもお姉ちゃんもいました。赤ちゃんの頃の記憶では、お父さんの暴力がひどかったです。それが原因で幼いころに両親は離婚しました。それからは、ずっと3人で暮らしていました。 生活するために、お母さんは水商売のお店で働き始めるようになって、毎日酔っぱらって帰ってきて、お姉ちゃんに暴力をふるうようになりました。幼かった私は、お姉ちゃんを助けることもできず、押し入れに隠れて泣いていました。これが4歳の頃です。 日中お姉ちゃんと2人だけのときに、お姉ちゃんの気に障ることを言ったら、暴力をふるわれるようになりました。四角いブロックを何十回も頭に投げつけられて、たんこぶだらけになったり…。夜になってお母さんが帰ってきたら、お姉ちゃんが殴られる…。そんな毎日が続いたときに、お姉ちゃんが私への暴力を止められないからって、自傷行為をして死のうとしたんです。それをきっかけに、お姉ちゃんは母方の祖父母に引き取られました。

お姉さんがいなくなって、お母さんと2人の生活はどのようなものでしたか?

お姉ちゃんがいなくなってからは、お母さんの暴力の矛先は私になりました。さらに、お母さんは仕事をやめてしまって、私を連れて飲みに出歩く毎日が始まります。まだ小学校に入学する前でした。 いま思ったら「なんで逃げなかったんだろう? 」って、「なんで誰かに助けを求めなかったんだろう? 」ってなりますが、それが普通だと思っていました。保育園も小学校も行ってなかったので、周りの家族を知らなかったんです。だから、どんなに殴られても、自分が悪いと思っちゃう。虐待を受けている子って、みんなそう思うんだろうなって。自分が悪いから怒られている。だから仕方ないって。 当然ですけど、飲みに出歩いたらお金がなくなります。それで、水道電気を止められてしまったり、マクドナルドのケチャップだけが1日の食事だったりという生活でした。最終的に、家に住めなくなって、真冬にホームレスにもなりました。そのあとは、行政に保護されましたが、虐待については気付かれず、また2人の生活に戻りました。

小学校に入学してからは何か変化はありましたか?

小学校には入学しましたが、3年生まで学校に行った記憶がほとんどないです。完全な不登校児だったと思います。朝昼はお母さんが寝ているので、起こさないように息をひそめていました。お使いを頼まれたらお使いをして、家事を頼まれたら家事をする。夜になるとお母さんは飲みに行って、家に帰ってきたら暴力をふるわれるという生活。 背中がミミズ腫れになるくらいハンガーで叩かれたり、お風呂に沈められたり。いま考えたら、死ぬかもしれなかったなって思います。外にも出たいし、学校にも行きたかったけれど、お母さんが大好きだったので…だから逃げようと考えたこともなかったです。 あとは、小学校に上がってからは、たまに一時保護所に行っていました。でも、当時は、どうして一時保護所にいるか分からなかったです。「お母さんとちょっと離れて寂しいな」くらいに考えてました。

4年生の頃から祖父母に引き取られていますが、どうして引き取られることになったんでしょうか?

小学校3年生の時に、お母さんと2人で生活していて、初めて死ぬと思ったんです。それで、夜中の2時頃に家出して……お母さんに逆らうじゃないけど、家を飛び出したのは本当に初めてでした。それから、警察に保護されて、一時保護所で半年過ごして、児童養護施設に行くことになりました。家出が自分の人生を変えたきっかけになったと思います。 児童養護施設に行ってからは、学校にも行くようになりました。学校に行くようになってからは、本当に勉強ができなくて、悔しくて仕方なかったです。だから、児童養護施設で生活した1年間は、とにかく一生懸命勉強しました。 祖父母に引き取られたのは、4年生の途中です。私が児童養護施設に入っているのを祖父母が知って、引き取られることになりました。それからは、安定した生活を送れるようになりました。

2019年3月オリエンテーションにて

お母さんに対してどのような感情を持っていましたか?

児童養護施設で生活するようになってから、自分の家庭がおかしかったということを理解し始めました。でも、「おかあさんに会いたい」とか「大好きだっていう気持ち」は変わらなかったです。やさしかったお母さんの記憶もあるので、これからもその気持ちは変わらないのではないかと思います。 一方で、恨んでしまうこともあって……お母さんがちゃんとしてたらこんな家庭にはなっていないって。だから、この先一緒に生活するつもりはないし、自分の親はおばあちゃんだって思って生きてきました。20歳になったら戸籍も抜くつもりでいます。思い出の中のお母さんが大好き。やさしかったときのだけが残ってるから。正直、お母さんに対しては正負、両面の感情があります。 小学校5年生の時に、お母さんが捕まったという連絡がありました。薬物、アルコール中毒、うつ病で、人を刺してしまったって。それで、ちゃんと縁を切ろうと自分の中で決めました。お母さんと一緒にいたら、自分がダメになるとその時点で理解したんです。だから、おばあちゃんから縁を切ろうって話が出たときも、全く迷いはなかったです。

なるほど。それからはおばあちゃんと一緒に生活されていたんですか?

祖父母と一緒に生活するようになって、中学校まで進学しました。でも、中学校3年生の時に、おばあちゃんが白血病を患って入院します。おじいちゃんはすでに他界していて、お姉ちゃんは一人暮らしだったので、中学校3年生の時は一人暮らしの状態でした。学校行って、病院寄って、家に帰るという生活。 高校には、おばあちゃんの近くで一人暮らしをしながら進学するつもりでしたが、お母さんの弟の家庭に引き取られることになりました。おばあちゃんのそばに居たいっていうのがあって、悩みに悩んだんですが、「行ってくれた方が病気の治療に専念できるから」というおばあちゃんの一言で決心して、高校2年生の終わりまで福岡のおじさんの家庭で過ごしました。 ただ、なかなかおじさんの家庭での生活に馴染むことができず、広島に帰ることを決意して高校3年生の4月から広島で一人暮らしをするようになりました。そして、広島に帰った高校3年生の6月におばあちゃんは他界してしまいました。

おばあちゃんが他界したことは、杉本さんにとってどのような出来事でしたか?

亡くなったときは、喪失感が強くて、何も考えられませんでした。どう生きていくのか考えなければいけないけど、頭が回らなくて……。お葬式が終わってから、ワンちゃんとおばあちゃんの遺骨だけになって、私は廃人同然でした。学校も1週間いかずに家に閉じこもりました。 でも、そのとき立ち直れたのは、友達の存在が大きかったです。みんなから連絡が来て、家にも来てくれて、家に呼んでご飯食べさせてくれる友達家族もいて、本当に救われたなって思います。 いまふり返ると、おばあちゃんとの関係で後悔する部分もいっぱいあります。おばあちゃんに、「なんで私にはお母さんがいないの」て言っちゃったり、お弁当の料理も、みんなとはちょっと違くてみんなが羨ましく見えて……そういうので文句言っちゃったり。1年間入院生活が続いていたときも、毎日お見舞い行って洗濯物を洗濯するのがめんどくさくなって「いやだ」ってなっちゃったり……。でも、私にとっておばあちゃんの存在が本当に大きかったです。反抗できる、わがまま言える存在がおばあちゃんでした。だから、私の親はおばあちゃん。

先輩に言われた「生きていてくれてありがとう」の一言。

ビヨンドトゥモローの第一印象を教えてください。

ビヨンド(ビヨンドトゥモローのこと)を知ったのは、高校3年生の夏頃です。教えてくれたのは、親身になってくれる学年主任の先生でした。 初めて聞いたときは、奨学金をもらえる上に、アメリカに行くプログラムも無料で参加できるなんて、「こんなものがあるんだ! 行ってみたい! 」と思いました。 それに、私の周りには自分みたいな家庭の子がいませんでした。家庭の話を友達にしたら、みんな理解してくれました。でも、やっぱり心の底から相談できる人がいなくて…そういう友達がほしいって思ったんです。

実際に参加してみてどんなことを感じましたか?

一番はじめに、バックグランドを共有する時間がありました。まず、過去を話し合う時間が取られるんだということに衝撃を受けました。 そのときは、先輩が最初に話してくれて「生きていてくれてありがとう」って言ってくれたんです。それにすごい衝撃を受けました。ビヨンドトゥモローってすごいな! って。 いままでは、「強く生きてきて偉いね」って言われることはありましたが、「生きていてくれてありがとう」という言葉は初めて言われたなって思いました。これまでに、何度も「死にたい」って思ったことがあるので、その言葉がすごく響いて……一瞬で肩の荷が下りた気がしました。 その先輩の言葉を聞いて、私も話していいんだって思いました。こうやって、過去をみんなが受け入れてくれて、安心感がある場だなってすごい感じました。

サマーリトリート2019にて、自分の体験をスピーチしている場面

ビヨンドトゥモローのプログラムに参加する中で、何か変化はありましたか?

夢が変わりました! 今までは、普通に看護師として安定して生活ができればいいかって考えてたことが、ビヨンドに参加して「発展途上国の看護師になりたい」になりました。夢が、本当に大きくなりました。 ビヨンドに参加するまでは、自分の中だけでおっきい夢を見ることはあっても、誰かに言うのは恥ずかしかったです。自分の中で、海外で活躍するみたいな大きい目標は、夢物語って決めつけていました。 でも、ビヨンドに参加して、先輩のキラキラした姿を見たり、みんなの目標や夢を聞いたりして、すごい刺激を受けました。私も自分のために一生懸命生きていいんだって思ったんです。もうちょっと楽しく生きていいんじゃないかなって思うようになりました。本当にビヨンドに出会えてよかったって、いまも思います。

困っている人や助けを求めている人がいることを忘れたくない。

サマーリトリート2019にて高校生の話を聞いている場面(向かって左側)

いまの杉本さんの原動力は何ですか?

「発展途上国の看護師になりたい」っていう大きい目標ができて、そこに向かって頑張れているのがあります。それに、すっごい負けず嫌いなところがあって、今まで苦労してきた分、誰よりも幸せになってやるぞっていう意地があるんだと思います。 もう1つは、ビヨンドを通して知り合った友達の存在が大きいかも。その子といるときは、素の自分を出せて、心の底からの相談もできて、夢も言えて、お互い指摘し合えるんです。 ……そう考えると、私は人にすごい恵まれてきたなって思います。だから過去がコンプレックスじゃないんだろうなって。自分の今までの過去があったから、今の自分みたいな性格が出来上がって、虐待の過去があったからビヨンドにも参加できてるんです。いろいろ壁はあったけど、自分がつぶれなかったのって、友達の存在だったり、児童養護施設の先生だったり、学校の先生だったり、ビヨンドの友達だったり、人運だけには恵まれたなって思ってます。もちろん、おばあちゃんの存在が一番大きいです。

最後に、杉本さんの今の「夢」を教えてください。

看護師を目指すようになったのは、2つの理由があります。1つは、おばあちゃんが看護師さんに支えられている姿を見て、私もおばあちゃんを支えられるようになりたいと思ったことです。もう1つは、お姉ちゃんが看護師をしていたのに憧れて。お姉ちゃんのこと大好きなんです。 それで看護学校に通っているんですが、医療に関わる上でもともと発展途上国に興味を持っていました。ただ、「発展途上国で」というのが明確になったのは、ビヨンドの米国プログラムに参加したのがきっかけです。プログラムの中で、難民だった方にお話うかがう機会がありました。その方に「あなたは、毎日気持ち良く安心して眠ることができて、朝気持ち良く起きれて、三食ご飯を食べている生活をどう思いますか? 」って聞かれたんです。問いかけられたのに返答できなくて、ひたすら涙が出てきました。 人って、いざとならないと気付けないことも多くて、今自分の周りにも困っている人、助けを求めている人がいるのに。その言葉がすごく響いたのは、全然そこを考えていない自分がいたらからだと思います。だから、困っている人や助けを求めている人がいることは忘れたくないと思ったんです。それで、発展途上国の医療現場に行くことが夢物語から夢になりました。おばちゃんに胸張って生きていけるように夢に向かってがんばりたいと思います!