飯田芽生愛

飯田芽生愛

長野県長野西高等学校

“ビヨンドトゥモローでは、自分の過去を真剣に聞いてくれる人たちがいて、みんな、様々な困難を経験しながらも、その経験をどう活かせるかと前向きに考えていて、その姿は本当に恰好よくて、憧れた”

幼少時に母を自殺で亡くし、児童養護施設に入所した。その経験があったからこそ、虐待を受けている子供たちや生活に困っている子供たちに寄り添うことができたり、より現実的な問題点や対策を提示できるようになったと思う。将来は、子供たちの「居場所」の創出に尽力すべく、メディア含む様々な職業から自分の歩む道を見出していきたい。高校1年の時からビヨンドトゥモローの活動に参加を始め、3年目となる今年は、仲間たちが意見を出しやすい雰囲気づくりを、自分らしい形でできるようになることを願っている。

ストーリー

私は幼少期に虐待から保護され、児童養護施設で育ちました。その体験自体は明るいものではありませんが、その体験があるからこそ気づいた「子どもの居場所の必要性」という課題に取り組み、社会をよりよいものにするために尽力したいと考えています。

私は、幼い頃、母を自殺で亡くしました。父、母、姉、私の4人家族で暮らしていましたが、父の暴力がひどく、母は離婚し、再婚しました。新しい父親には娘がいて、私には新しい姉ができ、そして、父と母の間に弟が生まれ、6人で暮らすようになりました。しかし、新しい父親も暴力がひどく、母は、私たち子どもたちを連れて実家に逃げました。そこで、追いかけてきた父親と言い争いが始まりました。別の部屋で待っているようにと言われ、静かになったので、のぞいてみると、母が自ら灯油をかぶり、火をつけました。私と姉は、お風呂の桶に水をくんで、燃えている母に何度もかけました。でも、母は真っ黒になってしまいました。消防車と救急車が来て、夜、病院に行くと、母は全身を包帯で巻かれて寝ていました。目と口だけでていたのですが、そこも真っ黒で誰かわからなくて、その部分が、今も頭に焼き付いています。その数時間後、母は亡くなったそうです。

それまでは、母に守られていましたが、母の死後、父の虐待の対象は子供に移りました。特に、私が父の標的となり、学校に行かせてもらうことができず、ご飯ももらえず、夜、雪の中をひきずられたこともありました。包丁を投げられたことも、お風呂でおぼれさせられそうになったこともありました。そんな状況が1年ほど続いた時、姉が小学校の先生に話してくれ、私は助け出されました。小学校の校長先生がたくさん動いてくださり、いつもお酒を飲んでいた父をまず飲酒運転で逮捕し、安全を確保してから、私を助けだしてくれました。そして私は、児童養護施設に来ることになりました。

転校したばかりの頃は毎日、男の子と殴り合いの喧嘩ばかりしていました。施設の暮らしの中でも、年上の子に使いパシリにされたり怒られたりして、ビクビクしながら生活していて、そのストレスを学校で発散しているような感じでした。また、私は保護された後、父と縁を切ったため親がおらず、実家と呼べる場所がありません。高校卒業時には児童養護施設を退所するため、退所後に帰省できる場所や頼れる人が一人でもいればと願うことが多くなりました。

わたしはこれまでに、児童養護施設で暮らす中で、子どもが抱える様々な問題を知りました。たくさんの子どもたちが、自分の居場所を見出すことができず、施設を出た後に、頼れる人や帰ることのできる場所がありません。私は将来、そんな子供たちの「居場所」と思える場所を作り、支えていきたいと考えるようになりました。

高校1年生の時、施設の先生が、視野が広がるだろうと、ビヨンドトゥモローへの応募を勧めてくれました。チラシを見た時、過去に参加した学生のコメントとして、「ビヨンドトゥモローは私の居場所です」という文が目に飛び込んできて、わたしがまさに作りたいと思っているものをもう実現しているなんてどんなところなんだろうと衝撃を受けたのを覚えています。そこからは絶対行きたいと思い、納得いくまで何度も応募用紙を書きました。

そして、初めてビヨンドトゥモローに参加し、本当に驚きました。それまで、自分の過去について話しても、少し距離を置かれたり、変に気を使われたり、かわいそうだと言われたりすることが多かったのですが、ビヨンドトゥモローでは、自分の過去を真剣に聞いてくれる人たちがいて、そして、みんな、様々な困難を経験しながらも、その経験をどう活かせるかと前向きに考えていて、その姿は本当に恰好よくて、憧れました。サミットから帰ってから、興奮が冷めず、しばらく余韻が続きました。その想いを伝えたくて、事務局に送った一通のメールがきっかけとなり、児童養護施設の高校生のための奨学金・人材育成事業「ビヨンドトゥモロー エンデバー」が始まり、私も応募して、参加することになりました。それは、自分の考えを伝えることで、それをきいた人々が行動を起こすきっかけをつくることができるということを実感する機会になりました。

エンデバーに参加するまで、自分で居場所作りをしたいという夢を持ちながら、居場所は物理的な場所としてのイメージしか持っていませんでした。漠然と、子どもたちが気軽に立ち寄って、悩み事を相談するような物理的な「居場所」を創ることを考えていましたが、その後、「居場所」という概念はより複雑であることを知りました。エンデバーは物理的な場所がないにも関わらず、心の支えになっていて、どんなに久しぶりに会って、どんなところへ行っても、ここでなら、どんな自分でいてもいいと思うことができて、メンバーの誰1人も欠けてはいけないという感覚があります。物理的な場所がどこであっても、その仲間が集まると、過去の体験やこれからの夢を、安心して気兼ねなく話せる空間が生まれ、「居場所」という温かい言葉が、このエンデバーにまさに当てはまっています。このかけがえのない仲間との空間は私にとって「居場所」と呼べるものとなり、「居場所」とは、必ずしも物理的な建物を指すのではなく、自分が安心できる空間のことを指すのだと気づきました。そして私は将来、頼ることのできる家族がいない子どもたちが安心して集い、自分の夢について考えたり、自立して生きていくための学びを得られるような「居場所」を創りたいと思っています。

今後は、大学に進学し、その夢の実現のために必要なアプローチを学び、弱い立場にある子どもたちが広い視野と選択肢を持ち、自分の将来を決定していけるような社会の実現に寄与できる仕事をしていきたいと思います。そして、社会的養護の下の育った当事者である自分だからこそ果たすことのできる役割を全うすべく全力を尽くし、進学率が低い児童養護施設の子どもたちの中のロールモデルとして、後進の活躍の場を広げられる存在になりたいと考えています。